会員・家族の声

会員の声

  • 『明日大事な会議がある。今夜は控えめにしようと思うのだが気がつくと深酒になっていた。当然翌日には酒のニオイがする』

  • 酒が切れてくると手が震えて字が書けない。飲んではいけないと思いつつも震えをとめるために仕事中に飲んでしまう。最後には仕事中でも飲むのが常習となっていた』

  • 『問題を起こすのは自分の責任だと思っていた。病院に行き「病気です」と言われた時ホッとしたが、納得していいものか迷った』

  • どうしようもない状態は、理屈ではなく身体で感じ取っていたと思う。病気と言われ、「何とかなるのでは‥」と思った』

  • クビになるかも知れない。離婚もやむを得ない。病気でも何でもいい。とにかく今が変わればいい。そんなことを考えていた』

  • 常時三軒の酒屋とつき合っていた。毎日店を変えて酒を買いに行く。一軒だけではアル中と思われてしまう‥』

  • 『断酒会に入ってみんなの体験を聞く。「俺はあんなにひどくない」といつも思ってしまう。飲みたい気持がまだまだあり、自分の酒を正当化しようとしていたのかもしれない

  • 『入院していたとき、今度こそ上手に飲もうといつも思っていた。依存症を認めないと退院させてもらえないので優等生の発言をしてしまう。当然入退院の繰り返しが続く』

  • 夫の交通事故の後始末に奔走した。腹が立ってどうしようもなかった。夫は相変わらず飲んでいる。「私がやるしかない」とかけずり回っていた』

  • 昔と違う夫の行動や態度に最初は戸惑っていた。あまり長く続いたので、今の状態が夫の人格だと思いこんでいた』

  • 『近所や親戚に夫のしたことをひた隠しにしていた。自分ひとりでなんとかしようと思ったがなんともならないのが現実であった

  • 『今日も酒のことでガミガミ言う。最初は我慢していたが大声を出さないと黙らない。最後には、何か言われると「バカヤロー!」「黙れ!」が夫婦の会話になってしまった

  • 『朝起きると、隠しておいた酒や空瓶がテーブルの上に並んでいる。家族の冷たい視線を感じるがあえて何も言わない。黙って仕事に行く。残った家族の会話は耳にタコができるほどわかっている。家族との会話が無くなってしまった

  • 『ウィスキーの空瓶に水を詰めてサイドボードに飾っておく。しばらくはバレないはずだ。一晩で飲んでしまった。上物ウィスキーの味も思い出さない。酒ならなんでもよかった』

  • 酒を飲むことしか頭になかった。事実酒を飲むことしかしていなかった。後のことはいつも後まわし』

  • 『病院で何回も入退院をする人を見てきた。入院する度にひどくなっている。今度は幻覚・幻聴が出てパトカーで運び込まれたと聞く。彼の顔を正面から見ることが出来ない』

  • 『酒の量がだんだん増えてきたのに気づかなかった。それに伴い問題を起こす間隔も短くなっていた。自分では変わっていないと思っていた

  • 『仕事をしていて、二時間も経つと酒が切れ手が震えてくる。字も書けなくなり、思わず隠してある酒に手が出てしまう。仕事中の飲酒がいけないことなどわかっているのにどうすることも出来ない』

  • 『大量に飲むわけではないが、コップ一杯程度の酒をダラダラと飲み続ける。一日どれだけ飲んだかわからない。一時間おきに飲んでいたようなので軽く一升は超えていただろう。最後にはその一時間も我慢できなくなっていた』

  • 酒気帯び運転で事故を起こし、反省の意味でしばらくは酒を断った。しかし、なんのかんのと理由をつけまた飲み始める。免停中なので車は運転できない。ある意味、安心して飲めた』

  • 『身体が受け付けなくなるまで大量飲酒を続けてしまう。自分でも飲み方が異常と感じている。しかし、気持ちとは裏腹にトコトン飲み続けてしまう。酒をやめようと思うのではなく、身体が酒を受け付けなくなり飲めなくなっていた

  • 『しばらくやめると身体が元に戻ってくる。また飲めるようになり飲み出す。今度はコントロールしてうまく飲もうと思うのだが結果は同じことを繰り返していた

  • 不幸な死に方をした人たちのことを思うと今でも胸が痛んできます。飲み続け、吐血しながら一人で死んでいった○○さん。車にホースを引き込んで帰らぬ人となった○○さん。一生懸命声をかけたのに私たちの気持ちは届かなかった。でも、断酒会には酒をやめ雄々しく生きている仲間が大勢います。酒をやめ続けることにより身体も回復し、夫婦仲良く断酒会活動を続けている人が大勢います。断酒会はお酒に対し全能ではないかもしれない。しかし心も体も回復し、素晴らしい人生を送っている人がいることを理解してください』

  • 『あまりにも簡単に酒を断つことができた。今度はうまく飲めるだろうとまた飲み始めた。しかし、コントロールすることはできない。何とかしなければと思うが何ともならない。結局一人ではどうすることも出来なかった。断酒会に入って初めてやめ続けることが出来ている

家族の声

  • 夫は十代の頃から酒を飲むようになっていた。そのことになんの疑問も持たなかった。二十代に入って休みには朝酒、昼酒を飲んでいたが、このときもまあ、休みなんだからと問題があるなんて思いもしなかった。そんな夫は飲酒運転をしながら仕事をしていた。私はそのことに触れることが怖くて何も言えなかった。言うことよりも夫が気持ちよく仕事をしてくれることの方が大切だと思っていた。お酒に問題があることはうすうす気が付いていたのに見ないふりをしている私がいた。

  • 夫が断酒して20年ほどになるが、かつて事を起こした場所の近くを通るとあの頃の事が一瞬でよみがえる。それほど飲んでいるときに出来事は辛いものだったのだと思う。忘れることは出来ない。家族はそれほどの傷を受けていることを知っていて欲しい。

  • 夫が飲んでいるとき、夫に自分が一番と思わせていないと家の中で安心して生活ができなかった。自分が第一で俺が!俺が!だった。親や子どもが居るのに、第一に夫の事をやらないといけなくて他の家族にはかなり無理をさせていたと思う。断酒して何年かしたときに、娘からそんなことを言われて気が付いた。

  • 夫の飲み方がおかしいと感じるようになったのはいつ頃からか?何となく体調も良くなさそう、「少しお酒の量を控えたら」、「今日はこのくらいにしたら」と私は小言を言うようになった。身体の事を心配して言っているのに聞いてくれない。そのうちに「お前がうるさいからだ。飲まないで居られるか」とよけいに飲むようになっていった。悲しかった、辛かった。ぐだぐだになった夫を見ていると、死んでしまえと思うようになった。こんな家は他にはない。どこに相談したらいいのかもわからなく何年も過ぎていた。病院にもなかなか繋がれず、断酒会というところがあることを知り、家族も楽になれることを知った。

  • 苦しい、辛い、切ない、死んでほしい、殺したい、逃げたい、死にたい、解放されたい、見たくない、一緒に居たくない、家族をないがしろにするな、家族をなめるな!こんな事を毎日思いながら生活している家族が居ます。それがどんなことなのか、お考え頂ければと思います。